昨日から1号が合流したので、
4人でデンパサールへ出発する。
わたしはとりあえずあと二日ガムランに熱中させてもらって、
今は1号が仕入れを頑張ってくれる。
バイク2台それぞれ二人乗りで行く。
わたしは自転車の二人乗りすら出来ないので、
1号の後ろに乗せてもらう。
今日もいつもの道を快調にとばしていく。
朝8時ごろというのは比較的道もすいていて走りやすい。
どのくらい走ったころか、Aサンたちが乗るバイクの
後を追いかけて走っていると、突然警察に行く手を阻まれる。
警察が取締りをしていたのだった。
私たちは身に覚えがなかったので、
『なに?』と思いながら、言われた通り道路の脇の
駐車場らしきところにバイクを止めた。
周りを見回すと私たちと同じように、
何台ものバイクが足止めを食らっていた。
皆、免許証を見られ何か書類のようなものを書いている。
この光景は明らかに日本の違反の取り締まりのときと同じ。
『もしかしてやばい?』
何の取締りかもわからなかったけど、とりあえずヤバイのだ!!
何を隠そう私たちは[○免許]で乗っていたのだった!
観光客などには結構多いらしく、
本当ならデンパサールまで免許を取りに行かなければいけないが、
免許がなくてもバイクを貸してくれるし、
面倒くさいのと、費用がかかるのとで
まあ大丈夫だろうと安心しきっていた。
|
|
バンガローの庭で。 |
サリ・バンガロー(ウブド)の部屋 |
警官二人が私たちのほうにやって来て、
インドネシア語で話し掛けてくる。
どうやら免許証を見せろといっているようだった。
私たちがどうして捕まっているのか不明だったけど、
直感的にここは「インドネシア語も英語もわかりません」
というフリしようと心に決める。
1号もたぶんそう思っていたはず。
「なんですか?」見たいな顔をして、しらを切る。
前の方で、Aさんたちも同じように警官に囲まれていたので、
そっちへ移動する。
警官の数はとても多くあちこちで同じようなことが行われていた。
Aさんいわく、スピード違反の取り締まりのようだ。
スピードの遅い車を抜かしていったバイク(ほとんどのバイク)
をすべて捕まえていたのだった。
違反すると、普通は罰金ですむそうだけど、
[○免許]となると話は違う、裁判になるらしい。
もしばれれば厄介なことになる。『どうしよう・・・』
不安が頭をよぎる。動揺を隠しながら、
四人そろって訳がわからず困ったフリをし続けた。
わたしたちの周りにはいつのまにか警官が4、5人
集まっていて、どうしたものか相談していたが、
そのうち面倒くさくなったのか(この辺がインドネシアらしい!?)
シートの中に入っていた保証書などを確認すると、
「もう行っていいよ」というようなことを、
身振り手振りで伝えてきた。
『助かった・・・』こんなにハラハラしたのは久しぶりだった。
こっちもホッとしたし、向こうもヤレヤレという感じで、
お互いに笑顔を交し合った。なんか変??
なにはともあれ、警官にひつこいぐらい
「pelan、pelan(ゆっくり!)」
と注意されながら、そそくさとその場を立ち去った。
言われた通りほんとにゆっくり行かないと・・・
肝に銘じる。といってもそんなにスピード出してなかっと
思うんだけど・・・。
とにかくバリでも大きな取締りがあるんだなって、
変に感心してしまった。
みなさんもバイクや車に乗るときはお気をつけて。
さてさてそれからは、ゆっくり安全運転で
コマンさんちまで行く。
気を取り直して、ガムラン練習だ。
今日も気合と集中力でがんばります。
まずはウォーミングアップで『ガボール』を
さっとながす。まだまだ完璧には程遠い。
さあ出来なかったところを復習しようかと思っていたら、
コマンさんが突然
「キョウハナニシマスカ?」と訊いてくる。
何ってガボールじゃないの?と心の中で思いながら
三人黙っていると、コマンさんがさらに続けた。
「ガボールバッカリ タイクツダカラ チガウノヤリマショウ」
そんな、ガボールだってまだまだやりたいのに、
このまま他の曲をやってしまったら、
ガボールを忘れてしまうかもしれない・・・
と思いながらも言葉には出せず、よく考えてみれば、
毎日毎日一日中同じ曲をやらされてたらコマンさんだって
ねむくなるし、飽きるのももっとも。
不安が残るものの、何がやりたいか考えてみる。
今思えば習いたい曲はいっぱいあったのに、
この時はガボールしか考えてなかったので浮かんでこなかった。
結局コマンさんが『PUSPANJALI(N)』
という歓迎の踊りの曲に決めてくれる。
これは新曲だというので、最近出来たのかと思っていたら、
あとで買ったテープを見てみると1988年となっている。
これで新曲なの?という驚きがあったが、
長い歴史のあるガムランにおいて12年前に作られた曲
というのは、やっぱり新しいのかもしれないと妙に
納得してしまう。
さっそくはじめから習う。
ガボールのときと同じようにコマンさんの後について、
自分の耳と記憶力を頼りにガムランを叩く。
この曲はメロディをを覚えるのが大変。
というのも、今まで習った曲は曲中にどれも似ているフレーズが
出てきたりして、一曲頑張って覚えれば、次からはその応用で
比較的覚えやすかったりしたのに、
この『PUSPANJALIN』に限っては、
まったく聴きなれないフレーズの連発で3人とも
パニックに陥りそうになる。
ガムランに限らず、今と比べると、昔の音楽全体がシンプルに
作られていたのかも知れない。
昨日以上に奮闘しているところへ
うれしいことに私達のもう一人の師匠(私たちが勝手に
師匠と思っているだけカも知れない・・・)
『ウィディアさん』がわざわざやってきてくれる。
彼はコマンさんの親友で、普段は公務員として働いているが、
本職はガムラン音楽家でヨーロッパにも遠征したり、
作曲までしてテープも売り出されているすごい人なのだ。
それに加えて、「俺はバリ語しかしゃべらないぜ」
というお堅いところもあり、
Iさんはそんな渋いウィディアさんの虜になっている。
いつもなら、仕事の合間(サボって来ているといううわさもあるが)
をぬって私たちにガムランを教えに来てくれていたが、
今回は息子さんが足の骨を折ってしまい大変らしく、
残念ながらこの日一日の再会となってしまった。
大変なところを一日でも来てくれた事に感動しながら、
コマンさんとともに指導してくれる。
ウィディアさんはガムランに対してはとても厳しい人なので、
へたくそな私たちにも、容赦なく注文をつけてくる。
「そのへんで、勘弁してくれ〜」と思いながらも
バリ人と同じようにおしえてくれることがうれしくて、
ますますやる気が出る。
練習はウィディアさんが来てくれたことで
さらに熱が入り、無我夢中で叩きまくる。
その甲斐あってか、覚えにくかったフレーズも
何とか叩けるようになる。
お昼ごはんを食べるとウィディアさんは帰ってしまった。
少ししか教えてもらえなかったけど、
彼はコマンさん同様私たちにはもったいないくらいの
素敵な師匠だ。(本人に拒否されたらどうしよう・・・) |
|
|